第3回人間講座でご講演いただいた池田泰子さんから、寄せられたコメントや質問に対するご回答を頂きましたので掲載いたします。
【その1】公共の動物園に飼育員として勤めている者です。いわゆる中の人。プライベートでは今年の春より湯本先生が客員教授をされている京都芸術大学の通信教育課程で芸術を学んでいる身になります。講座内容に大変興味を持ち、第3回からの参加となりましたが、大変に貴重な講義を聴講できましたこと感謝申し上げます。ありがとうございました。講座の内容にはとても感銘を受けました。なかでも、「動物もこちらを見ている」という観点は飼育に携わる人間として感じていたことであり、その通りだと思います。こちらが象の鼻は長くて器用だなと思うように、ゾウも人間という動物は手が長くて指先を器用に使うなと感じていることでしょう。また、関係者が協力してチームを作るというはとても大切なことであると思うとともに、基本事項を徹底的に確認し話し合うことの大切さは、働きながら痛感していることことでもあります。考えることを諦めてしまった職場には諦めてしまった職場には未来における発展もないかと個人的には感じております。
【その1への回答】諦めないことは勇気のいることですよね。今日はお話ししませんでしたが、NPOでボルネオ島の緑の回廊を作るという活動を続けております。周りから見たらそんな夢のようなと言われておりますが、もし、ごく平凡で非力・ちっぽけな私が完全に諦めたら、明日オランウータンたちは滅びてしまう。くらいに買い被って地道にブースでの情報伝達や募金活動をしております。関係ないコメントになっちゃったかもしれませんが、とにかくゼロにはしない、自分が手放さなければ気持ちのバトンが何かにつながって行くのかもしれません。
【その2】母親と子供連れにとても力を入れておられますが、大人からしてみれば公共の場所で我が子の躾も出来ない親子連れは迷惑以外の何物でもないです。年間パスポートで訪問するのは親子連ればかりでもないです。ゆっくり見たいが為に平日に休みを取り訪問する者もおります。日本の動物園が入場者数に拘るあまり本当に問題意識を持った訪問者を遠ざけているように思えてなりません。今回の講演は不愉快に思う場面がいくつかありました。
【その2への回答】お話しの中の年間パスポートの訪問者は親子連ればかりではない、これはその通りだと思います。立地によっても利用者は変わりますね。私の話しの内容も極端でご不快な思いをさせてしまったかと思います。今回は親子に焦点を絞っての話でしたが、動物園に対し、ボランティアとして貢献されていらっしゃるシニアの方々や、個々の動物の個性に目を向けての応援として長く通われていらっしゃる方々など頭が下がります。飼育さんからもそのような方々から手が回らない係の方の助けになるようなお知らせをいただいたり、時には写真をいただけたりなどの話も聞こえてきます。
【その3】公立は税金を投入するので等しく学べると言われていますが、地方自治体の資金力によってそのポテンシャルもバラバラに思います。中には飼育動物の福祉すら満足でないところに、来園者の教育までできる余力があるのかどうか疑問です。京都市動物園は特別だと私は思います。
【その3への回答】はい、私もそのことはその通りだと思います。ただ、税金を投入する公共にはそうあって欲しいという願いがありますね。
たとえ掲示が下手でも、とりこぼすことなく動物園を利用できる方が大切とのことでしたが、とりこぼしなく動物園を利用できるからこそ、来た時よりも帰る時に持ち帰れるものが大切だと思います。例えば、オランウータンに汚い言葉を投げかける日本人をゼロにしたい、それくらいはできるのでは?と思う時、動物園や気づいた市民にできる教育的掲示は何でしょう。また、それは、どうやったら実現させられるのでしょう。
【質問への回答】ご質問、大変難しく、「動物園」の枠を超えて、とても大切な投げかけですね。オランウータンに汚い言葉を投げかける趣旨が、「目立ちたい」「関心を向けたい」であれば日頃からその方に対して、周りの環境が暖かさを持って接することが必要な場合と、躾が必要な場合もあると思います。その場合の掲示としては共感性を共有していただけるようなアプローチでしょうか。「嫌い」であれば嫌いでなくなる可能性としての観察(理解)へのガイドとしての情報掲示としてさまざまなアプローチができますね。