第46回椙山フォーラム(視聴期間2022年10月21日(金)~30日(日)、オンデマンド映像配信にて)を開催しました。東京大学大学院人文社会系研究科教授の納富信留氏を講師としてお迎えし、「古代ギリシア哲学における人間の生と死」と題して講演をいただきました。
人間の営みの中で「生と死」は最大のテーマであり、古代においても様々な考え方がありました。今回の講演では、叙事詩や伝説におけるギリシアの死生観を紹介し、古代ギリシアの哲学者たちがそれらについてどう答えたかを解説していただきました。
古代のギリシア人の死のイメージは「美しき死」です。この考え方が広く共有されたことを示す逸話から、人間は華やかさの頂点において、つつがなく人生を送りつつ、そこで死ぬということが最もしあわせである。人間は死ぬべきもので、どう生きるか、どう死ぬのかが重要であり、その中で「美しい生き方」「美しい死に方」に価値を求めるギリシアの死生観について説明されました。
ソクラテスの哲学は、人間にとっての幸せ、人間にとって善いこととはどういうことなのかを我々は知らないし、死が本当はどういうものかを知らないのに最大の悪だと知っているつもりで恐れる。それより、与えられた運命をできるだけ美しく立派に生き続け、死がくればそれを受け入れる。自分の生き方を全うして生きるということが重要で、生きるか死ぬかというのは重要ではないという考えです。これはホロメス以来のギリシアの哲学である「美しき死」の一つの理想でもあります。
次に、原子論を整備した自然科学者でもあったエピクロスの哲学は、快楽主義の立場から、人間が快楽をもって生きるための最大の障害の一つは死の恐れです。生きている間に、死について悩まずに楽しく生きる。死のことを考えるのは、生きることを無駄にしていること。つまり、私たちは生きている間は死に惑わされる必要はない。死んでしまったら迷いはないのだという考えです。また、生き方自体を充実させることが重要なので、美しく生きろ、美しく死ねという理想は、ずれているのではないかとも言っています。ソクラテスの議論とは違うのですが、共通することは、どう生きるかということです。
最後に、エピクロス派に並んで盛んだった学派のストア派の哲学についても、人は必ず死を迎えるのだからその準備をし、受け入れろという考え方を紹介されました。
疫病、戦争、様々な死がある中で、人々は死と向き合いながら生きてきました。そして、その中で哲学が世界を考えて、今、この時をどう生きるのかということを議論してきました。今回ご紹介した様々な逸話は、今を生きる私たちに非常に良い言葉を伝えてくれているのですと講師はまとめられました。
講演後は、神田外語大学外国語学部教授のギブソン松井佳子氏からコメントと質問をいただき、さらに深堀した内容となりました。