7月17日(水)、椙山女学園大学文化情報学部准教授の阿部純一郎氏を講師として、令和元年度第2回人間講座を開催し、58名に参加いただきました。「旅する進駐軍~米軍文書から読み解く占領期のニッポン観光~」という今回のテーマは、これまであまり大きな関心が払われてこなかった占領期の観光史に、阿部氏がスポットを当てたものです。
終戦後、米軍占領部隊が愛知県に進駐し、竹島海岸一帯と三河大島が接収されました。その中で、株式会社瀧兵商店(現:タキヒヨー株式会社)社長の瀧信四郎によって観光開発されていた蒲郡は、戦前から外国人旅行者を受け入れてきた国際リゾート地であったため、米軍専用の保養地に選ばれたと阿部氏は説明しました。
東日本の帰還兵の待機・受入施設が神奈川県の座間市、横浜港であったのに対し、愛知県の岡崎市、名古屋港が西日本の帰還兵の待機場所となりました。日本の行政や観光業界も米軍観光が外貨獲得・経済復興の有効な手段とみなし、米軍兵士が帰国するまでの休暇の場所として、受け入れ体制を整備しました。そして米軍兵士たちの不満解消、モラール向上のため、リゾート休暇、観光、スポーツ等の充実が図られたことを説明しました。
さらに、朝鮮戦争の際には、戦争で疲弊した兵士の休養先として蒲郡ホテルが利用され、陸軍、空軍の米軍兵士だけでなく、国連軍の兵士にも利用されました。
阿部氏は最後に、娯楽や観光というのは占領とは関係がないと思われるかもしれないが、国に帰りたくてたまらない米軍兵士を残らせるため、つまり占領を続けていくためには必要であったと述べ、結びとしました。